【親の介護】って?36才で経験して感じたこと。わかったこと。

いま、40代のカイザーです。20代や30代の前半ころってまったく親の介護って考えていませんでした。まだまだ先と思っていました。

でも介護は、以外に速い時期にやってきました。そこにいたる私の経験をお伝えしたいと思います。

めっちゃ苦労した母親

私が育った家庭は、ごく普通の4人家族で、両親と2つ離れた姉と長男の自分で新潟で生活をしていました。

父親は地元の銀行につとめ、母は専業主婦をしていました。小さいころは、よく家族旅行にでかけたり、冬はスキーにもつれていってもらい家族の仲もよかったと思います。

父親の病気

70才でなくなってしまった私の父はとてもやさしい性格で、おだやかな性格でした。

私が小学生高学年のころにこんなことがありました。

ある夜、父親が帰宅しないことがあったのですが、夜中に自宅に電話がかかってきました。母親が電話をとったところ「ホテルで声をあげて壁をたたいたりしている」とホテルからの連絡がありました。

母は急いでホテルに向かいなんとか親父を説得して自宅まで連れて帰ってきました。そのとき私が9才、姉が11才くらいのときだったかと思います。

はじめて父親が、「そううつ」という精神疾患の病気で苦しんでいたことを知りました。

結局、東京で高校教師をしていた父親の弟である叔父さんに来てもらって、本人をなんとか入院させることができました。

それから1ヶ月くらいで退院し、病気と向き合いながらも会社を勤め上げた父親がどれだけ大変だったか、社会人となって働いて子供をもつようになって身にしみて感じるようになりました。

姉の病気

私の姉は、中学校に上がったころにいじめに合い、それがきっかけとなり精神疾患をわずらっています。

思春期の時期のいじめやや不安に伴うストレスが原因だったのかと思うのですが、両親はなんとか姉の病気を治したいという思い出必死に、評判のよい医者を探していました。

東京の親戚の紹介で東京の大学病院へ入院していたこともありました。

当時、中学生になったばかりの私にとっても両親にかまってもらえない寂しさで母や姉を責めたりしたこともあありました。

とにかくさびしかったという気持ちが強かったのです。

母に当時の思いを聞いてみた

社会人となって結婚して子供が生まれたころ、母にそのときの思いを聞いてみました。

父と姉が病気になって、子育てもある中で、不安や逃げ出したいという思いはなかったのか」と聞いてみると、「そのときは、ただ必死で、なにも目の前のことで精一杯だった。ただ、そのときにお世話になった人のことは、感謝しても感謝しきれない。病気のときに助けてくれた人たちは特に感謝している」と。

私が同じ立場にあったら同じようにできただろうか。不安とつらさからきっと逃げ出してしまっていたんではないか。やはり母は強いし、本当に自分たちを一生懸命まもってくれたんだと強く感じました。

倒れた母

父は、私が生まれる前から糖尿病で、食事の前にインスリンを打たなければいけませんでした。定年後は、姉の病気を思い、長く住んだ地域を離れて県内の別の市に中古の一戸建てを購入して移り住みました。

その理由は、姉の病気治療で評判のいい病院がそこの地域にあったからでした。

私が結婚をして2才になる娘をつれて正月に帰省した翌月、父親が倒れたとの連絡をうけ、実家にかけつけました。

当時、私は実家と120キロ以上離れている場所に住んでおり、毎週週末に父と母の様子を見にいくようにしていました。

父は、胃の中にチューブを入れて栄養をとらなければ生きていけなくなり、1年半を病院のベッドで過ごした後、70才でなくなりました。

母親は、父が亡くなるまで、父の看病と姉の看病をしていたため心労が重なり葬式の2日前に歩けなくなり、救急車で病院に運び混まれて入院してしまいました。

はじめての介護

父の葬式後、20日間くらい会社をやすませてもらいました。私には、やらなけばならないことがありすぎました。

・母の介護申請 

・姉の入院手続き

・葬式後の片付け 香典返し 遺品整理 家の片付け

・相続の手続き 

・家の片付け 

姉は葬式前に倒れてしまい病院へ入院となり父の葬式に出席できませんでした。母はなんとか、車イスのまま葬儀に参加でき、母の代わりとして私が喪主として葬儀を執り行いました。

私の勤め先と実家までは、高速道路を使っても1時間以上かかることもあり、何度も実家に帰ることは難しいと感じていたため、歩行が困難な母をどうしたらいいのか考えました。

市役所へ相談

介護の知識なんて全くなく途方にくれいたのですが、とりあえず近所にある市役所へ連絡をしてみることにしました。

市役所へいくと介護に関する窓口として福祉科の方が対応してくださり、やさしく私の話を聞いていただいた上で、何をしたらいいのか、どういうサービスがあるのか、費用がいくらかかるのかを親切に教えていただきました。

地域支援包括センターへ相談にいく

市役所の方から地域支援包括センターという介護の相談窓口を紹介されいってみまいした。家からも近いところにあり、教会のようなところに事務所があり相談をしました。

ケアマネージャーさんを紹介してもらう

介護サービスを受けるためには、ケアマネージャーさんという介護サービス認定調査を受けて認定されなければいないこと。その認定された介護の種類によって受けられるサービスがことなることを教えてもらいました。

要介護と要支援では、要介護の方がおもく、より長い時間のサービスをうけることができたり、料金の負担が軽くなるような・・・

ケアマネージャーさんに自宅にきてもらう

当日、すぐにケアマネージャーさんが自宅にきてくれ介護の認定調査をしていただきました。

ケアマネさんからは、母と話しながら、母に必要なサービスをまとめていってくれました。

・日常の生活をサポートする介護ヘルパーが必要かどうか

・リハビリなどのデイサービスが必要か

・自宅の通路やトイレに手すりをつける必要があるか

・介護用のベッドは必要か

など。母が日中自宅で1人ですごせるための必要なサービスを全部まとめていただきました。

介護認定は最短2週間

ケアマネージャーさんは、経験から母のカラダの状態から要支援2になるだろうことを予測して介護ベッドの業者、デイサービスの担当者などを紹介してくれ、契約手続きを進めていただきました。

1週間単位での母の介護サービスをまとめてもらいました。

手続きはかなり大変

ケアマネさんのおかげで何をしたいいのかという不安は全くなくなったのですが、手続き事態は想像した以上に時間がかかり大変だと感じました。

何よりも、複数枚の書類を記入しなかればならないし、契約をすすめるにあたってサービスを提供してくれる担当者さんの話を聞かなければならないので、かなりの時間がかかりました。

わたしの場合、父の葬式後に20日も会社を休んでしまったのですが、正直これでも大変だと感じたし、一方でまとめて手続きを終わらせることができてよかったとも思っています。

介護サービスを受けて

実際に、サービスがはじまると、ケアマネさんが利用者に直接不具合がないかを聞いてくれるので、ほぼ任せてお願いをしていました。

その中で、判断が発生するものに関して電話で確認をして調整を行っていただきました。

実際、介護サービスをはじめるにあたって何をしたらよいか途方にくれていたのですが、自治体との連携もスムーズで親切に対応をしてもらい助かりました。

支援サービス事態もしっかりしており、介護で悩むことがあれば市役所などの福祉課に相談にいってください。わからないこと、不安なことを当事者の立場で聞いてくれる相談員の方がおります。

実際に介護に立ち会ってみて、体力的に精神的に一人でできないことは、たくさんあります。全てを自分でやろうと考えず、自分がラクになるようにしてみてください。

それは決して悪でもなく、手抜きでもありません。あなたがラクになれることであなたが幸せになるのは、大事なことだから。

あなたの人生もそこにあるのですから。

まとめ

比較的、わかい年代で親の介護に向き合うことになりました。たぶん自分よりもずっとわかい方が介護に向き合っている方も多いを思います。

自分にはまだ先と思っていた介護が、突然やってきて途方にくれました。そのとき、何をしてよいか不安ばかりで思考停止になってしまいます。そんなときが、地元の自治体へ相談してみてください。そこから解決方法が必ずみつかります。

実際に介護サービスを提供して感じたことは、組織が整っていて、迅速に柔軟に対応をしてくれることのありがたさ。人のやさしさを実感しました。

私は、速い時期に介護を経験できたことは自分にとってもよかったと感じています。年をとればとるほど体力は落ちるだろうし、柔軟に対応することも難しくなるだろうし。

何よりも、病気をしている人たちの気持ちや、それを支える人たちの大変さがわかったことで、やさしさと思いやりをもって周りの人と接していけたらなと強く感じるようになりました。