【子育て】小学生の子どもが不登校になりました。

どうもカイザーです。わが家には小学4年の女の子、小学2年の男の子、保育園に通う4才の女の子がおります。こども達と嫁の5人、毎日をせわしなく生活しています。

小1の長女が学校にいかなくなりました。

カイザー
実は、現在小学4年の女の子が小学1年生の夏休み明けから学校にいけなくなりました。みなさん同じだと思うのですが自分の子どもが不登校になるなんて考えたことは一切なくかなりショックでした。

でも、今は何事もなかったように学校へ楽しそうに行っています。

子どもが不登校になったときの本人の気持ち、私たち親の気持ち、いけなくなった時に何をしてきたかなどをお伝えすることで、同じように悩んでいるお子さんや家族の方の一つの参考になればという思いでわが家の出来事を紹介させていただきたいと思います。

わが家のこと

はじめての子育てということもあり、自分たちも慎重に手探り状態で子育てを初めてきました。わが家では夫婦共働きということもあって、約1年間の産休、育休後、奥さんが仕事に復帰しました。

わたしは、当時勤めていた会社で部署の異動もあり帰宅時間も遅く完全に奥さんに子育てをまかせっきりにしてしまっていました。

奥さん自体もフルタイムで仕事をしており、むすめを保育園に迎えにいってから帰宅すると19時前後でした。

その2年後、長男が生まれてから奥さんは育児と仕事に追われてさらに疲弊していきました。

カイザー
奥さんも仕事と子育て家事とワンオペをさせてしまいました。当時を振り返り本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

私を含めて日本の社会では女性が家事育児を負担することが当たり前のように思っていることがあります。共働きでも奥さんに家事や子育てを押しつけてしまっていたことを反省しています。

一年生の夏休み明け、学校にいきたくないといってきました。

新卒で16年務めた職場でしたが残業で帰宅時間も遅く、休日出勤もかなりあって時間のゆとりが欲しいと思い退職。たまっていた有給休暇を消化している時期でした。

夏休みの終わりころ、長女から「学校にいきたくない」と言われました。

登校日には、普通に学校にいくだろうと考えていたのですが・・・・・

夏休みあけの登校日「学校にいきたくない」と涙を流しました。

学校へ行く7時20分になっても、玄関から出る気配もなく部屋の隅でじっと座り続けていました。

7時25分ころに、近所の子どもが迎えにきたので・・

長女に強い口調で「はやくしなさい。みんなが待っているよ」といい、手を引っ張るようにして学校にいくよう促したのですが「学校にいきたくない」と泣いてしまいました。

なぜ行きたくないかを聞いても理由はわかりませんでした。それでも無理やりに手を引っ張って行くように促しても涙をながしながらいきたくないという娘。

そのとき、私が有給休暇中だったので1日くらいは様子をみようと学校へ行かせるのはあきらめました。

翌日以降も学校へいかなくなり・・・・

今日はいくだろうと思っていたところ登校時間になっても支度をする様子もなく、「はやく支度して学校へいきなさい」と促しても支度をする様子もなく、泣きながら行きたくないという娘を玄関へ引っ張るものの激しく泣きながら行きたくないという娘。

結局、この日も私が疲れ切ってしまってあきらめました。

カイザー
今おもえば、なぜいきたくないという娘を無理に連れていこうと思ったのかがよくわからないのですが、自分の中で娘が学校へ行かないということがただ受け入れられなかっただけだと思います。

それからなんと3年生の秋まで不登校が続きました。

その間、奥さんと相談して決めたことは二つになります。

  • 無理に学校へ行かせないこと。
  • まるべく放課後に学校へ連れていくこと。

泣く娘を無理に学校へいくことは娘にとっても親にとってもつらく負担が大きいと感じていました。そのかわり、娘と相談して放課後に学校へ行くことを決めました。

カイザー
娘が学校へいかなくなるということは自分達に問題があるのかと思い込んでしまい悲しい気持ちになりました。
カイザー
学校の協力をいただいて担任の先生に放課後授業をしてもらいました。毎日は行くことができませんでしたが。

私が親と姉の介護が重なり、退職後も求職活動が1年以上できない時期でもあったので娘を学校を連れていくことができました。

日中も、母親が自宅へいたので娘の世話はできないけど、見守りをしてくれたので外出時も娘が一人になることはなく、母親に感謝しています。

母は要支援2で介護ヘルパーさんが週2回ほど自宅訪問をしてくれていました。

学校へ行かなくなった理由を考える

娘が学校へ行かなくなった当初、理由を考えてみました。

  • いじめ
  • 勉強についていけない
  • 体(こころ)の調子が悪い

学校の先生にも相談しました

当時、娘の担任の先生は23才の若い女性の先生でした。一生懸命娘のことを考えて対応してくれました。

担任の先生以外にも、校長先生、教頭先生、生活指導の先生をはじめ学校全体でフォローしてくれました。

娘が学校へいけなくなった原因は結局わかりませんでした。

いじめはなく、勉強も好きではなかったけれど、全くできないということではありませんでした。

カイザー
学校へいこうとするとおなかも痛くなってたりしていたので体にも異変があったと思われます。無理にいかせないと夫婦で決めたことはよかったかなと思います。

先生から大学のカウンセラーの先生を紹介されて何度も相談することができました。専門の先生に相談することですごく気持ちがラクになりました。

保険室登校ができるようになりました。

学校へいけなくなってから1年後くらいから、先生のすすめで保険室への登校が少しづつできるようになりました。

毎日保険室と放課後に少しずつ学校へいくことができるようになり、もう学校へ行けるのではと感じるようになりました。が・・・・その後も大きな変化はありませんでした。

3年生になりクラス替えと担任の先生がかわりました

1年半以上、保険室と放課後に学校へ行ってきた娘ですが学年がかわった新学期当日も学校にはいけませんでした。

新しく変わった先生も心配してくれて自宅にも訪問にきていただいたりしました。

学校の行事に参加。すこしづつ学校へいけるようになりました。

先生が娘に運動会に参加してみないかと誘ってくれて競技には参加しないものの観覧席で参加しました。

カイザー
学校どうだったと聞くとみんながいっぱい来てくれてうれしかったと喜んでいました。

その後も学校のイベントに少しづつ参加できるようになり。秋のマラソン大会参加からすこしづつ学校へいけるようになりました。

学校へ行けるようになりました。

11月の中旬くらい、放課後にいつものように学校に連れていったとき娘から「私あしたから一人で学校いける」と言われました。

カイザー
うれしさよりも突然のことにびっくりしてしまいました。

うれしさも当然あったのですが、期待しすぎるとがっかりしてしまうので、やっとそういう気持ちになってくれてうれしいと感じるだけで過度な期待はもたないようにしていました。

朝がきて・・・

娘の覚悟はほんものでした。朝の6時に起きてきて支度をすると食事をすませ「いってきまーす」といって出ていきました。

今までのことが何事もなかったかのように出ていった娘に夫婦そろって唖然としてしていたのを覚えています。

今日も、楽しく登校し続けています。

まとめ

娘が学校にいかなくなり最初のころは、親の私たちがどうしたらいいのか不安になりました。

自分達の接し方に問題がなかったかを自問自答したり、まわりの子ども達と比べてしまったりして悩みました。

子どもに理由を聞いても答えがわからないもどかしさで、子どもにあたってしまうこともありました。

でも、学校の先生をはじめ、まわりの方たちからいろんな話を聞くことで、無理にいかせないで、いけるようになるまで待とう。という気持ちになってきました。

いきたくない子どもをせめて無理にいかせることは子どもにとっても、親にとっても苦痛です。だから自分をせめないでください。

自分自身をせめず、子どもを責めないと覚悟した時、心に余裕がでてきました。

そんな気持ちになれたのは、まわりで子どもに寄り添い続けてくれた親や先生、カウンセラーの先生がいたからだと思います。

あきらめるのではなく、寄り添うこと。子どもがやれることの手伝いをするようにしていこうと考えを変えていったところから子どもの様子が変わっていった気がします。

カイザー
それぞれの家庭の状況も違っています。学校の先生や地域の中にきっと助けてくれる人や話を聞いてくれる方がいます。一人で悩まないでほしいと思います。そして自分自身や子どもをせめないでください。だれも悪くはないのですから。

とにかく信頼できる人に話を聞いてもらうだけでも心がラクになりますよ。

勉強に関しても、後からでもいくらでも取り返しがつきますし、勉強以外に好きなモノやことが出てくれば素晴らしいことです。

親にできることは信じて待つだけだと思います。私が今回のことで感じたことはこのことでした。

カイザー
信じて待ち続けることがどれだけ大変で苦しいことかも実感しました。